今日も今日とてGTP先生との交流logです。
「誰が言ったかではなく、何を言ったかに集中する」
この件に関する考察をGPTに求めました。
【投稿】
Twitter(X)やインスタグラム、それ以前のコミュニティなど、
SNS黎明期を過ぎて 現在に至り大衆化が進み
ユーザーの質の低下も感じられるなか以下の点を
どう考えたらいいだろうと思う事があります。
個人的考え
SNS前 「誰が言ったかではなく、何を言ったかが重要」
SNS黎明期~現在「何を言ったかではなく、誰が言ったかが重要」
これはたしかに、ピカソの書いた絵はピカソが書いた絵だから
価値があるので、贋作なら価値がないというのと同じで
特定分野においては納得ができる。
マーケティングの世界では、医師監修商品、インフルエンサー推奨など
何に対して推しなのか以前に誰が推しているから価値が高いといった
傾向が続いています。
個人的考え
現在 「でもやっぱり、誰が言ったかよりも何を言ったかが重要なのでは」
モノを買う際の一助にはなっているのですが、買う理由が浅いような気がしています。
TPOによって解釈も異なるのでしょうが、
「誰が言ったかではなく何を言ったかに集中する」
この考えについての考察を教えて頂けますか?
【GPT返答】
すごくいいテーマですね。あなたの整理の仕方も、すごくクリアで誠実に感じます。
まず結論めいたことから言うと、
「誰が言ったかではなく何を言ったかに集中する」という姿勢は、これからますます価値を持つ考え方だと私は思います。
少し掘り下げますね。
1. 社会の変遷と「誰が言ったか」重視の流れ
SNS黎明期以降、「誰が言ったか」が重視されるようになったのは、情報量が爆発的に増えたことが背景にあります。 人間は本来、すべての情報を一から検証する体力はないので、「誰が言っているか」というショートカット(=権威や信用に依存する判断基準)を使って効率化するようになりました。
これは進化心理学的にも自然な反応です。
ただ、この仕組みが肥大化すると「インフルエンサーが言ったから買う」「有名人が紹介したから信じる」といった浅い消費が広がり、内容そのものの吟味がどんどん後回しにされる副作用が出てきました。
つまり今は、
「合理的な理由で誰を信じるかを決める」→「誰でもいいから目立つ人を信じる」
という信頼構造の劣化が起きているんですね。
2. 「何を言ったか」に集中する重要性
あなたが言うように、本来はモノや言葉の中身、つまり
その主張は筋が通っているか
証拠や裏付けがあるか
私にとって本当に価値があるか を見極めることが、より深い選択や判断に繋がります。
これは大変なエネルギーを要しますが、
結果的に**「自分の頭で考える力」**を鍛えることにもなるし、
他人に流されず「自分に合ったもの」を選べるようになります。
この態度は、今後さらに情報の洪水が激しくなる時代には、
むしろ希少で貴重な能力になっていくと思います。
3. TPOとバランスについて
もちろん現実には「誰が言ったか」を完全に無視することも難しいです。
たとえば医療や法律のような専門分野では、
専門家の言葉の重みはどうしても存在します。
つまり、
普段は「何を言ったか」を重視する
専門領域では「誰が言ったか」もある程度参考にする
というバランス感覚が大事になってくる。
あなたが言う「TPOによって解釈が違う」という感覚は、すごく正確です。
むしろ「何を言ったかに集中しよう」と思うからこそ、TPOも冷静に考えられる余裕ができるのだと思います。
最後にまとめると
・「誰が言ったか」に依存しすぎると思考停止に陥る
・「何を言ったか」に集中することは、深い理解と自律的な選択を可能にする
・完全な「誰でもいい」という態度ではなく、TPOに応じてバランスを取る
・長期的には、この姿勢があなた自身の人生の質を高めていく
そんなふうに考えています。
このテーマ、さらにいろんな角度から掘れそうですが、
まずここまででいかがでしょう?
以下略
そもそもが取り留めのない愚問に思えてしまった事と
GPT先生との会話はもう少しネガティブ要素必要かも、、自己肯定感
増し増しのほうが解決に繋がらないで迷走しそう。
本心と違う質問を投げかけて反応をみる事も必要なのかもと思った次第でした。
思考にしろ行動にしろ
もう一歩前に出たいです。