TVから流れる地震の状況があまりにも悲惨なので、
神社で被災者へのお見舞いと無事、命が少しでも救われるよう祈ってきました。・・・気休めでしかありませんが(汗
以下、またダラダラと。

車中で思ったこと↓
Twitterを利用していて、思う事、感じる事、考えさせられることは多々あります。
そんな中、自分に言い聞かせている事は「寛容たれ」です。
寛容に関しては「甘い」という印象がつきまといがちですが、これほど「渋く苦い」思考はないと個人的には思っています。
寛容を伴わない主張は、どんな主張にせよ自身に甘いだけで、説得力に欠ける人様の一意見にすぎないです。
ユーザー間の論点に
「今、何をなすべきか」
というのがあります。
個人的には
「自分ができる事をする」
と確固たるものがあります。
・仕事をし、税金を納める。被災地に国/自治体が回す。(信用度はこの際おいとく)
・日常生活(消費活動)をおくり国力に微力ながら貢献をする。
・お小遣いから募金する。
・余力があればボランティア...etc
気持ちは、すっ飛んで行って助けになりたいけど、足手まとい。
実際には最期までやり遂げる余力なんてないし、恥ずかしながら自分のできる最大限は、こんなものです。
支援ってのは、される側の態勢・事情がもっとも大切なのに、する側先行ってのもね・・・。
世界と比較して日本(国民)の習熟度を鑑みてもヒーローとか突出したリーダーが必要なのか未だに疑問を拭い去れません。
政治がだらしなかったりするのは、「国民が優れてるから」なのかもしれないですね。
ほか、ネット上で世論の一旦を担うという事に関しては、いまいち貢献に対しての信用度が低いです。(自分の運営サイトも含めて)
そんな中でもやるべきと感じた事(節電など)はやる!と。
↑これ以上は、違う意見を持つ方に対して寛容さに欠けるのでこれくらいに(汗
人様の言動に対しても寛容たれ!と自戒中です。
そんな事を思いつつ帰宅。
駐車場に車を停めると・・・

↑芝桜が咲いてました。
花言葉は「忍耐」。・・・あ、ググりましたよ。
帰宅して、またTVに目を通すと
「お母さ~ん!お母さ~ん!」
と、泣きながら家族を探す少女のVTR。
(ここでもマスコミの事はおいといて)
失われた命も生かされた命も・・・あまりに重すぎる。
もうね、込み上げる感情を抑えるのがやっとでした。
そんな中、新燃岳が再び噴火。
「共生して耐え忍ぶけど、怒られたとは思わない事にするよ」
変な独り言が出ました^^;
被災地の皆さまに比べれば今のところ、なんてことないのに(汗
でも、命あるかぎりは共に精一杯生きていきましょうね。
そんな事を自然と思う日になってしまったのでした。
追記:寛容たれとはいえ、自分の中にも寛容たる必要のない事もあります。と、一応付け加えておきます。
3/17追記
「個人の物資支援は受け手の態勢が整ってから」という阪神大震災の教訓ですが、今回は別物のようです。
一元化されるべき受け手の自治体が、まるごと津波被害にあい、またその規模も想定外で人員不足と指揮命令形態が見構築のまま急を要する状態のようです。
現在、以下のNGO活動団体が、物資を受け付けているとの事。
https://spreadsheets.google.com/ccc?key=0Amz7rgcYoBCOdHIwMm1tc1FJbFRyaEQwSjZtc083X0E&hl=ja#gid=0