ここ数日、根つめての作業で、クリスマスもまともに迎えてなかったので、東霧島神社経由→ケンタッキーへとあいなりました。
到着後、まずはご神木に手を宛ててのワンショット。
・・・ご神木にライトが付いてるけど^^; まっいいか。

で、竜神さまに今年無事に過ごせたことに対して御礼。
例によって、龍王神水で体中水浸しに(笑

今年最後の参拝終了。
でもって都城のケンタッキーへ。
で、
ここからちょっと、
おっ恥ずかしい過去の1ページ回顧録。
都城は生まれた地で幼少期を過ごした場所です。
小学3年まで過ごしました。(もう30年ほど前になる)
その後、16才までは宮崎市内で育つ。(以後20年ほど東京へ)
25年前
高2の初夏、早朝から晩までの詰め込み教育が本当に嫌になってしまい
家出をした(笑

ある朝、高校の門の前で、ママチャリのハンドルを90度ひねり、そのまま何のあてもなく逃避行。
何を考えたのか青島方面へ行き。
①
シーズン前の海水浴場で、砂をイジイジしてて(笑
砂の中から偶然100円を拾う。1万円の価値に思えたw
持参していた弁当を食べて、お茶を買った。
この時点で所持金0円(笑
で、次なる行動は・・・・あてなし。
そのまま日南海岸を南下。
「南へ走れ、海の道を!」と映画のタイトルよろしく、かっこつけたいところですが、当時はそんな映画まだありません。
ってか、、、当時の心境はそんなレベルの話ではなく深刻でした^^;
②
夕方には、
母方の祖父母のところ飫肥本町へ到着。
(ここまでの道のり約60km)
学生服のまま平日の夕刻時に登場した孫。
当然、祖母は心配で聞く。「隆くん!・・・どうしたんね?」
やさしい問いかけにも、「迷惑は掛けられない」「どこかへ行きたい」など自分勝手な感情で頭の中が一挙に混乱。ただただ振り切るように何も言わず又、飛び出した。
・・・・結果的に心配を掛けてしまう行動なのに・・・今思えば、本当にガキです。
で、あてのない行動は続き
次に向かった先は
③
都城
山道を60km。
夜8時頃には真っ暗です。
ママチャリのペダルの重さと自分の取っている行動での気の重さ・・・一歩前に進むにも重すぎて途方に暮れていた。
夜9時頃
山頂付近で、通りがかりのトラック運転手が声を掛かけてくれた。
「にいちゃん、どこいくんね!荷台に乗っけるか?」
運ちゃん
「で、どこ行ん?」
自分
「都城です」
運ちゃん
「・・・・・そうか。まぁ乗れ!」
自分
「あ・・・ありがとうございます」
道中、運ちゃんは何も言わなかったが、何かを察しているようにも伺えた。
ややしばらくして、都城市街の入り口に到着。
別れ際、運ちゃんが、缶コーヒーを差し出して
「にいちゃん、何があったか知らんけど、頑張れよ!」
涙が出そうになるのをかみ殺し
「・・・はい。」
運ちゃんは素敵なおっちゃんでした。40を超えた今でも、あなたのような、やさしさを持った人間になりたいと思っています。
話を元に戻して(汗
夜10時
着いた先は早水公園
とにかく疲れていた。
「寝よう」
と、公園内にある、焚き木用の掘っ立て小屋に新聞紙を敷いて横になった。
初夏とはいえ、盆地の都城は寒い。
・・・2時間経過・・・寝れない><。
寒さと、疲れと、途方の無さで体が震えだし限界に達した。
そして、今では考えられない無謀な行動に出た。
実は100m先に幼少期に住んでいた家がある。
深夜0時
その家のインターフォンを鳴らす。
しばらくして家主が登場。
家主
「こんな夜中にどうしたの?」
自分
「実は、以前この家に住んでいた者なのですが、一晩だけ泊めていただけないでしょうか?」
相当悲壮感が出ていたのか・・・
家主
「まぁとにかく入りなさい」
自分
「すみません。」
家主
「寒かったろう。ここを使って、温まって寝なさい」
と、何も聞かれず、寝室に通された。
自分
「ありがとうございます」
考える間もなく寝た。
翌朝
朝食まで戴いた。
今まで生きてきた中で、あれほど感謝して食べた朝食はなかった。
そして、別れ際
家主の妻
「これをもって行きなさい」
と、みかんと缶コーヒー。
自分
「・・・・(何もいえず頭を垂れる)・・・・」
家主の妻
「いいから、もって行きなさい」
自分
「すみません!」
深々と頭を下げてその場を去った。
家出が続くの(わがまま)が分かってたからなのか、自然と出た言葉が「ありがとう」ではなく、「すみません」でした。
今思えば
相当不審な学生さんに見えたことでしょうに。
自分が一軒家の家主になった現在、学生服を来た見ず知らずの若者が深夜に尋ねてきて、ここまで親切に出来るだろうか。
両親が直接、お詫びとお礼をしたとの事は数年後に聞いていたが、自分はその後直接お会いしていない。
あのご夫婦に直接お詫びをしお礼を言いたい。
その想いから、
25年たった今日
その家に行ってきました。
現在はそこに住んでいらっしゃらないのは聞いてました。
残念ながら、お会いできず、家も建て替えられており、面影は無し。
身丈は16の時と変わってないのに、その場所は妙に小さく感じました。
当時の年恰好から想定してご存命なのかも不明です。
「ちょっと回顧録」のはずが・・・かなり長くなってしまいましたね(汗
最後に一宿一飯のお礼を日誌にて失礼します。
拝啓
あれから紆余曲折を経て、おじさんといわれる年齢にまでなりましたが、今も鮮明に記憶しております。
当時は、突然の訪問でご迷惑をお掛けしました。
又、その時に親切にして頂いた事で、「人は一人では生きていけない」という事を身をもって教えて頂きました。
世知辛い世の中になりつつありますが、あなたに戴いた「心」を胸に今後も生きていこうと思います。本当にありがとうございました。
まずは、日誌上にてご報告かたがたお礼を申し上げます。 敬具
