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感じるな。考えるんだ!というモラトリアム



こんばんは。
寝付けなくて、ワイン2杯飲んで寝床に入ったら余計に寝られなくなりました。

で、思いのまま日誌です。

本日のお題は「感じるな。考えるんだ!というモラトリアム」です。


以下前置きです。

私が子供の頃、ブルース・リーというヒーローが居ました。

映画の有名なセリフに
「Don't think Feeeel (考えるな!感じるんだ。)」
というのがあります。

動画はコチラ↓


補足のセリフに
「月を指差すのと似たようなものだ。指に集中するんじゃない。その先の栄光が得られないぞ」
とあります。

以上を踏まえて。

本題

去年の口蹄疫(食と命)やら、今年に入ってから新燃岳の噴火、さらには東日本大震災と、命について感じる事が多く、父の闘病も重なり、いつしか「感じずに考える事を優先」するようになっていました。

父の病気は前立腺癌で、私が帰郷してすぐに闘病生活がスタート。
先日、天国に旅立ちました。

数年間「そんな日はまだ来て欲しくない」と願いつつ、「いつかはその日が来ると心の準備はしていた」つもりです。

が、いざその時が来ると寂しいし悲しいし、正直放心状態から脱しきれていません。

父への思いは、日誌に綴れるほど簡潔なものではないし、続けると涙が溢れそうになるのでこれくらいにしておきます。


昨年、
その父が
「この歳になっても、やっぱり生きたいんだよね」
と言ったことがありました。

その後、ずっと付き添えたわけではないのですが私の見た限りでは、
最期の眠りにつくその時まで、ただひたすら命の炎を燃やし生を全うしようとしていたと感じました。

多くの人が
人は何の為に生きているのか?
を考えた事があると思います。

私は
人は幸せになる為に生きている
と長年思っていました。

自殺をする人も「死ねば楽(幸せ)になれるかな」と思い、天寿を全うする人も「幸せな余生を過ごす為に生きているのかな」と漠然と思っていました。

これが、考えた結果ですが、感じた結果はぜんぜん違いました。


人はただ命の炎を燃やし全うする為に生きている

のではないかと思うに至ったのです。
それを出来た人が、結果として幸せなのではないかと。


棺に眠る父の顔は幸せそうで、そう思えてならないのです。

ブルース・リーの言葉に言い換えると

「月を指差すのと似たようなものだ。幸せに集中するんじゃない。その先の栄光が得られないぞ」

です。

幸せの定義にもよると思いますが、生きている中で感じる幸せと、人としての務めを終えたあとの幸せがあるのではなかろうか・・・いや、すくなくとも考えてる内は幸せではない
これが、父の死と向き合い感じた事です。

これが結論とならない(遺伝子継承なども含めて)までも、
父と家族が大切な違いに気付かせてくれたと思えてなりません。


かくして、
感じるな!考えるんだ。というモラトリアム(猶予期間)は終わりをとげなければと・・・人生は思うよりも短いです。

これからは
「Don't think! Feeeel (考えるな!感じるんだ。)」

思考停止しないようミクロとマクロ、全体を捉え考えつつ、考えすぎず、
殺しかけた感性を再び磨きつつ、感じたままに
指差した先の栄光に向けて。
・・・・・・と必然の方向に舵を切りたいと思うのでした。




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