こんばんは。
震災が起きて11日経ちました。
前回の日誌:祈り、そして寛容たれで「自分にできる事は何か」を記していますが、以降、「果たしてこれで正しいのか?」と黙考の日々です。
そんな中Twitterを通して共感に至る情報がいつくかあり、その中から2つだけご紹介出来ればと思い、キーボードを叩いています。
その1
手前ミソで恐縮ですが、身内がRT(リツイート)して目に止まった、とあるブログの情報でした。
震災について:さくら剛の動物日記から引用
ココから-----------------------------------------------
ところで、「今こそ普通の生活をして経済を回そう」とか、「『不謹慎』という言葉は禁止!」という、Twitterでよく見かけるコメント、これが「被災者のことを気にするのは面倒だから自分は何も考えず普段通り暮らしたい」ということの口実になってはならないと思います。
僕は個人的には、まだ経済を回すということを考える時期では無いと思います。
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引用文だけ見ると、口実というくだりに違和感を感じます(後方支援という理由をたくさんの方がお持ちのはず)
が、バランスのとれた主張で共感する部分があり、読み進める内に再考する大きな要因の一つとなりました。
震災について全文はコチラ
読み終えてしばらく考えました。
が、考えに変わりはなく暗く灰色がかった一点がどうしても拭い去れません。
そんな中、以下の記事が目にとまりました。
その2
高橋源一郎さんのアカウント祝辞12から引用
ココから-----------------------------------------------
いま「正しさ」への同調圧力が、かつてないほど大きくなっています。凄惨な悲劇を目の前にして、多くの人たちが、連帯や希望を暑く語ります。それは、確かに「正しい」のです。しかし、この社会の全員が、同じ感情を共有しているわけではありません。
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本当は全文引用したいのですが、長文になりますので一投稿分です。
この投稿以降、最後の祝辞25まで、深く共感しました。
(私は卒業祝辞といった類は好きではないのですが、疑問解決の材料になればと、筆者目線で目を通しました。)
お時間のある方は是非、ご一読ください。
作家・高橋源一郎(@takagengen)さんの「震災で卒業式をできなかった学生への祝辞」(togetterで全文をご確認頂けます)
これを読み、暗く灰色がかった一点がはっきりと見えました。
人の意見でも自分の意見でもなく、自分の心に従っているかという点です。
去年の話になりますが、宮崎在住の方なら口蹄疫で「食と命について考える」機会がありましたよね。
その際、同じように寄付・支援について考えましたが、やはり最期の決め手となったのは「心に従う」という事でした。
現在、考えに大した変化はなくすでに行動している部分もありますが、心に従っているかをもう一度自問したいと思います。
本当は、ここ一週間ほど地震に関連した事、Twitter感、原発の事など、数倍の日誌を書き溜めてましたが、書けば書くほど、どうでもいい事と思えてしまい全削除となりました。
今は、エールが被災地の皆様にとって本当の意味で、少しでも前を向く力になる事を切に願うばかりです。
一日でも早く、皆が明るい日々を取り戻せますように・・・
ということで、ここで強引にでも一旦切り替え!仕事に専念!前向くぞ!!!